昨日の続き。「時は得難く失い易し(時難得而易失也)」という言葉の出典は『淮南子』原道訓であろうか。(まだ賈諠の言葉としては検出できていない。『史記』賈生列伝には見当たらない。)
聖人不貴尺璧、而重寸之陰、時難得而易失也。(聖人は尺璧を貴ばずして、寸陰を重んず、時の得難くして失い易きなればなり。)――『淮南子』原道訓
これを踏まえるのが『千字文』の59句目と60句目の言葉である。
尺璧非寳(一尺の玉は、宝ではなく、)
寸陰是競(一瞬の時間、それを競(お)え。)
時代が下るが、『資治通鑑』巻第十・漢紀二・太祖高皇帝上之下・四年(戊戌、前二〇三)に、次のような記述がある。
韓信謝曰:「先生且休矣,吾將念。」後數日,蒯徹復説曰:「夫聽者,事之候也;計者,事之機也;聽過計失而能久安者鮮矣!故知者,決之斷也;疑者,事之害也。審豪厘之小計,遺天下之大數,智誠知之,決弗敢行者,百事之禍也。夫功者,難成而易敗;時者,難得而易失也;時乎時,不再來!」韓信猶豫,不忍倍漢;又自以功多,漢終不奪我齊,遂謝。蒯徹因去,佯狂爲巫。
北宋の歴史学者・政治家の司馬光は、てがら(功績)・とき(時間)を並列し、いずれも成り難い、得難いものと、蒯徹が韓信を説得する言葉として引用している。